LTO テープに関する富士フイルムとソニーの訴訟がすごかった

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LTO-7 を巡る富士フイルムのソニーに対する特許侵害訴訟について,少し詳しく調べてみました.

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はじめに

2010年代以降に磁気テープに対して BaFe 磁性体が果たした役割を調べるうちに,LTO-7 を巡る富士フイルムとソニーの訴訟に興味を持ちました.

日本の大企業同士の訴訟であるだけでなく,次の議事にあるように輸入差し止めまで至ったうえに,業界全体に影響をあたる事態に発展していたためです.

大容量記録メディア「LTO-8テープ」が日本企業間の争いによって不足
リニア・テープ・オープン(LTO)とはコンピューター用の磁気テープ型記録媒体であり、主にバックアップやアーカイブ用途としてエンタープライズ向けに販売されています。そんなLTOの最新世代はLTO-8となっていますが、市場を専有する日本企業同士...

ネットで色々と調べていくうちに次のブログを見つけました.[キャッシュ]

【142】 US6767612 Fujifilm Corporation (v. Sony Corporation) : 弁理士Tajの発明研究ブログ
#大企業(東証一部)、注目度【高】#関連ネタ:【091】【109】【122】昨年から話題の事件(【091】)だが、先日、富士フイルムがプレスリリースを出したようだ。・富士フイルムの主張を米国国際貿易委員会(ITC)の行政判事が認定(*1)(...

興味深く読んでいったところ,どうやら争いの場となっている ITC (United States International Trade Commission) は,議論の経緯を Web で公開されているようなのです.

そこで,それらのドキュメント(調査No. 337-TA-1012)を追ってみることにしました.

おことわり

私は知財関係は完全に素人で,この分野の英語を読むのも不慣れなので,誤った解釈をしている可能性があります.その点を留意いただき適宜,原文をあたっていただけると幸いです.

LTO-7に関する特許の取り扱い

まず,訴訟の前提となる,LTO-7 における特許に関する取り決めについて紹介したいと思います.

次のドキュメントに全体像がわかりやすく紹介されています.[キャッシュ]

403 Forbidden

これによると,LTO-7 における特許の扱いと両社のやりとりは次のような経緯だったようです.(以降で出てくる TPC は,Technology Provider Companies の略で,IBM,HP,Quantum の3社を指します)

2013年12月,TPCはソニーおよび富士フイルムとLTO-7ライセンス条件について議論を開始. 富士フイルムは,自身の特許のライセンスについて他のLTO-7メーカーと直接交渉すると述べた. TPCはそれで問題ありませんでしたが,ライセンスには「合理的で差別のないもの」が必要となることを提案.しかし,富士フイルムはライセンスを富士フイルムの「標準契約条件」の下に置くことを望む. 一方,ソニーは「合理的かつ非差別的な条件」を提案.

「合理的かつ非差別的な条件」は RANDライセンス と呼ばれ,標準化プロセスでよく使用されるライセンス方式のようです.

2015年6月,TPCは富士フイルムとソニーに手紙を送り,LTO-7のライセンス条件において,「合理的かつ差別のない条件」で「商業的に不可欠な特許」をライセンスするように提案.富士フイルムは 「商業上の必須特許」のライセンス供与には同意せず,富士フイルムの「標準」条件で「技術的に必須の特許」のライセンス供与に同意.

これが後々重要になってきます.富士フイルムはこの段階で,LTO-7 規格にとって技術的に必須に限っては自社の標準条件でライセンスするよ,といっています.

2015年7月,TPCはLTO-7ライセンス契約の最初のバージョンをリリース.しかし,富士フイルムが2015年6月のライセンス条項を採用しなかった場合LTO7市場から撤退する,と発表したため撤回.

この段階で,富士フイルムはかなり強気です.背景としては,LTO-7 の容量を実現するには自社が持つ BaFe 磁性体を使うしかないことが明らかであったことがあると思いますが,事業環境が BaFe の研究開発当初の想定よりも厳しくなっていることも影響しているような気がします.推測でしかありませんが.

ちなみに,TDK が磁気テープ事業から撤退する際に 2013年9月に出したプリリースには次の記載があります.

近年、テープストレージ市場は縮小傾向にあり、事業環境が厳しいと同時に、今後の成長は困難な見通しとなっております。

続けます.

今回は少し長いです.(細かい内容を端折っています)

2015年9月,TPCは改訂されたLTO-7契約をリリース.これが今回の係争で有効な契約になります.TPCと「フォーマット仕様参加者(FSP)」間では,個別のLTO-7契約が締結される.このLTO-7契約は,「標準的かつ非差別的な条件」で必須特許をライセンスすることに関するものです.

FSPは、LTO7テープ製品およびLTO7テープ製品コンポーネントを製造・使用・輸入・販売するライセンスを,差別のないFSP標準契約条件の下で他のFSPに付与することに同意します.当該権利は、必須特許クレームに関するものとします.

他のFSPは,このセクション8.2の第三者受益者であり,必須特許を実施する権限があります。

LTO-7 テープを供給するのは富士フイルムとソニーの2社しかいません.従ってこの規定は,必須特許については富士フイルムとソニーはお互いにライセンスする必要がありますよ,ということを言っています.

すなわち,必須特許については特許侵害の訴えの対象とはなりえ無いことになります.

では,必須特許とはなにか?それについては,次のように規定されています.

「必須特許クレーム」とは,LTO7フォーマットに直接関連し、LTO-7フォーマットに準拠するために必ず実施する必要がある特許になります.

※細かい記載を省略しています

富士フイルムの主張が考慮されていることがうかがえます.知財部強い.

以上を踏まえると,侵害を指摘された特許がLTO-7にとって必須かどうかが1つの争点になることが見えてきます.

提訴とソニーの反論

続いて,ICT の最終決定をまとめた次のドキュメントも参照しつつ,提訴以降にどういう議論になっていったかを見ていきたいと思います.

NOTICE OF COMMISSION FINAL DETERMINATION OF VIOLATION OF SECTION 337; TERMINATION OF INVESTIGATION; ISSUANCE OF LIMITED EXCLUSION ORDER AND CEASE AND DESIST ORDERS [キャッシュ]

前述のように,2015年9月にTPCは改定されたLTO-7契約をリリースしましたが,そのわずか8ヶ月後の16年5月に富士フィルムはアメリカ国際貿易委員会(ITC)に対してソニーの特許侵害を申し立てました.

富士フイルム,やる気満々です.

侵害されているとして挙げられた特許は次の6件です.

6641891 (JP2002358625)
【請求項1】 非磁性支持体上に実質的に非磁性である下層と強磁性粉末及び結合剤を含む磁性層をこの順に有する磁気記録媒体において、前記磁性層は厚さが0.01~0.15μmであり、前記磁性層は抗磁力が159kA/m(2000Oe)以上であり、前記強磁性粉末に含まれる強磁性粒子の大きさが最短記録波長の1/2未満であり、かつDC消去時の磁気的クラスターの平均サイズが0.5×104nm2以上5.5×104nm2未満であることを特徴とする磁気記録媒体
6703106 (JP2002319118)
【請求項1】
支持体上に少なくとも研磨剤及び結合剤を含有する磁性層を設けた磁気記録媒体に磁気ヘッドを用いて5μm未満のトラック幅(A)で信号が記録再生される磁気記録再生方法において、前記磁性層表面に存在する研磨剤の平均サイズ長(B)が、前記トラック幅(A)の1/3以下であることを特徴とする磁気記録再生方法。
6767612 (JP2003115104)
【請求項1】
磁気記録媒体に最小記録bit長50~500nmで磁気信号を記録し、該記録された信号をMRヘッドを用いて再生する磁気記録再生システムであって、
前記磁気記録媒体は、非磁性支持体上に非磁性粉末と結合剤とを含む非磁性層と六方晶フェライト粉末及び結合剤を含む磁性層とをこの順に有し、
前記磁性層表面に存在する最小記録bit長の1/3以上の深さを有する凹みの数が100個/10000μm2以下であり、かつ前記磁性層表面の中心面平均粗さSRaが1.0~6.0nmの範囲であることを特徴とする磁気記録再生システム。
8236434 (WO2007114395)
[1] 非磁性支持体の一方の面に、六方晶フェライト粉末および結合剤を含む磁性層を有 し、他方の面にバックコート層を有する磁気記録媒体であつて、磁性層表面の 10 μ mピッチにおけるスペクトル密度は 800〜10000nm3の範囲であり、バックコート層表面の 10 μ mピッチにおけるスぺクトノレ密度は 20000〜80000nm3 の範囲であり、原子間力顕微鏡によって測定される磁性層の中心面平均表面粗さ Raは 0. 5〜2. 5 nmの範囲であり、かつ六方晶フェライト粉末の平均板径は 10〜40nmの範囲である磁気記録媒体。
7355805 (JP2004318983)
【請求項3】
磁気テープに形成される複数のサーボバンドから、特定のサーボバンドを識別するサーボバンドの識別方法であって、
一つの前記サーボバンド内に書き込まれたサーボ信号に埋め込まれた、そのサーボ信号が位置するサーボバンドを特定するデータを読み込み、
このデータに基づいてサーボバンドを識別するものであり、
各サーボ信号は、一つのパターンが非平行な縞からなり、各データは、前記縞を構成する線の位置を、サーボバンド毎にテープ長手方向にずらすことにより前記各サーボ信号中に埋め込まれていることを特徴とするサーボバンドの識別方法。
6703101 (JP2000251243)
【請求項1】 支持体上に、非磁性粉末と結合剤を含む下層を設け、その上に強磁性粉末と結合剤を含む上層を設けた磁気記録媒体において、前記支持体表面の空間周波数5μmにおけるスペクトル強度が0.01~0.5の範囲にあることを特徴とする磁気記録媒体。

※以降では,各特許を末尾の数字3文字で識別して記載していきます.

先ほどの,LTO契約の内容を踏まえると,ソニー側が行う反論としては大きく次の3点があります.

  1. 訴えられた特許は必須特許であり,ソニーに実施権がある.
  2. 訴えられた特許にソニーは抵触していない
  3. 訴えられた特許はそもそも無効である

まず,ソニーは必須特許であるとの主張を行ったようですが,その訴えは退けられてしまいます.
残念ながらその詳細は開示されていません.

しかしながら,その後ソニーは次の4つの特許に対する訴えを退けることに成功しています.知財部門頑張った.

  • 106特許: 不明瞭のため,無効. (出典 [キャッシュ])
  • 612特許: 先行技術ありのため,無効.
  • 434特許: 特許侵害の証拠を示せていない.
  • 805特許: 特許侵害の証拠を示せていない.

また,101特許については,2017年1月に富士フイルムが訴えを取り下げています.

以上により,かろうじて 891特許の侵害が残り,2018年3月にソニーが負ける結果となりました.

富士フイルムの知財部門の凄み

ここで,問題となった891特許の請求項をもう一度見てみたいと思います.

【請求項1】 非磁性支持体上に実質的に非磁性である下層と強磁性粉末及び結合剤を含む磁性層をこの順に有する磁気記録媒体において、前記磁性層は厚さが0.01~0.15μmであり、前記磁性層は抗磁力が159kA/m(2000Oe)以上であり、前記強磁性粉末に含まれる強磁性粒子の大きさが最短記録波長の1/2未満であり、かつDC消去時の磁気的クラスターの平均サイズが0.5×104nm2以上5.5×104nm2未満であることを特徴とする磁気記録媒体

目を通して感じるのは,私のような専門外の人間にとっては,LTO-7 の記録密度を実現しようとした場合に必要になりそうな事柄ばかりだということです.でも,これはLTO-7には必須ではない.ソニーが抵触していることから商業的には必須だったんだと思われます.絶妙.

興味深いのは,LTO契約の見直しから提訴まで一年未満だったことを考えると,富士フイルムは,この特許が「必須特許」ではないものの,商業上必須であることを見通していたことが推測されることです.

時系列をおっていくと,ソニーは罠に嵌められたようにしか見えません.富士フイルムの知財戦略恐るべし.

その後

2018年3月にソニーが負けて,LTO のアメリカへの輸入が止まっていましたが,2019年の8月に解除されたようです.

Notice of Commission Determination to Rescind Remedial Orders; Termination of Enforcement Proceeding [キャッシュ]

全体の時系列をまとめると次のようになります.

年月 動き
2013年12月 TPC,ソニーおよび富士フイルムと LTO-7 のライセンス条件について議論開始.
2015年6月 富士フイルムは,RAND ライセンスの対象を技術的に必須の特許に限定することを主張.
2015年7月 TPC,LTO-7ライセンス契約の最初のバージョンをリリースするも富士フイルムの強い反対に遭い撤回.
2015年9月 TPC,改定された LTO-7ライセンス契約をリリース.
2015年12月 LTO-7 リリース.
2016年5月 富士フイルム,ITC に特許侵害を申し立て.
2018年3月 富士フイルム勝訴.ソニーの LTO-7 テープの輸入禁止.
2019年8月 和解.輸入禁止解除.

感じたこと

実は,この件を深く調べる前までは,LTO テープの訴訟では富士フイルムが強みとする BaFe の製法あたりが争点だろうと勝手に推測していました.

しかし,実際は全く逆で,BaFe 磁性体そのものは争点となった請求項に直接出てきていませんでした.それどころか,BaFe 磁性体は LTO-7 に取っては必須となる為に,ライバル会社に対して実施権を強制的に認めなければならないものになってしまっています

富士フイルムの立場に立てば,せっかく苦労して BaFe 磁性体を実用化しても,それが規格にとって必須との扱いになってしまえば強制的にライバル会社にライセンスすることになってしまい,全く競争力につながりません.しかし,そこで足を止めずに,必須ではないものの商業的には必要になる周辺特許を押さえることで,競合に対して非常に優位な立場を作り出すことに成功しています.

新規材料の実用化で磁気テープの可能性を広げただけでなく,周辺特許でしっかりと事業としての競争力を確保していく様はとても勉強になりました.

ただ,話はここで終わらず,この後ソニーの反撃が待っています.

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